みなさんはもう覚えてはいないかもしれませんが、中越地震のとき「山古志村」を中心にメディアは報道を行いました。
おそらくみなさんも「山古志村」という地名に聞き覚えがあるのではないでしょうか。
そのせいか、義援金や募金が山古志村「宛て」に多く送られてきたりしました。
もちろん、山古志村の被害は酷かったのですが、その隣りの市町村も同じように酷い状況に陥りました。
しかし、報道の偏りから、山古志村ばかりが義援金を受け取る事態が発生しました。
普通に住民で分けた場合、一人あたり3000万円ほどの寄付があったそうです。
おかげで新しく家を建て直し、池を作って鯉を飼ったりなど、かなり生活はよくなっているようです。
一方で、山古志村の隣りの町は、同じように悲惨な状況に陥ったにも関らず、30万円であるとか、60万円程度しか義援金がもらえず、家も建て直せないという人がいます。
今もなお、いつ崩れるか分からない家で生活している人がいるようです。
私の祖父も「全壊」と判定された、いつ潰れるか分からない家にずっと住んでいました。
(祖父は先日亡くなりました)
これは私の知り合いが実際にあちこちへ行って聞いてきたことですので、おそらく事実だと思います。
ただ、私も自分の目で確かめたわけではないので、どこまで事実なのかはわかりません。
一応、話半分に聞いておきましょう。
とにかく、義援金が被災地に平等に配分されるよう気をつける必要があります。
そのためには、義援金を一つに一旦まとめて、そこから配当する、あるいは、義援金を集めた組織でコミュニケーション・会議を行って、しっかり平等に配分できるよう、配慮する必要があると思います。
方法には様々なものがあるでしょう。
検討を要する事項です。
中越地震のときの不平等を再発させてはいけません。
【追記】
この記事を書いてから旧山古志村の方からコメントをいただきました。
以下に転載させていただきます。
旧山古志の者です。中越地震の時には本当に皆さんにお世話になりました。ありがとうございます。また、今回の東日本大震災で多くの皆さんがお亡くなりになり、深く哀悼の意を表します。また、今もなお避難所で多くの皆さんが避難生活をされており、本当に大変かと思います。
さて、中越地震のときの山古志の状況を少し書きます。まず、義援金についてですが、私の家は全壊でしたが、3回に分けて合計で100万ほどいただきました。また、これとは別に生活再建支援金が100万です。いただいたお金はこんなものです。では、なぜ多くの皆さんが家を再建できたかというと、ずばり「農協」のおかげです。山古志という地域は田舎ですので、損害保険に加入している家はほとんどなく、建物の保険といえば農協の建更だったのです。また、中越地震の時には、農協の建更には地震特約などどいう縛りがなかったので、ほとんどの家が満額の保険金をいただきました。ですので、家を再建できたといっても過言ではありません。ただし、農協さんもその後、地震特約をつけましたので、今はそういう訳にはいきませんが・・・
また、報道という点では役場の職員に聞いたのですが、地震後当初、記者の皆さんが平気で対策本部や避難所に取材されており、特に避難所ではそういった行為にクレームが出ていました。また、対策本部では電話対応等をしている職員にまで取材というようなこともあったようで、報道の皆さんとの関係はかなり悪かったようです。そこで、山古志では長島村長が1日1回は会見をして、そこで情報を出して、報道の皆さんの質問に答えるといったことをやっていました。そういったこともあって、山古志の報道が多かったのではないかということです。今の被災地の現状にどこまであてはまるかわかりませんが、私たちの状況はこういった感じです。
今も避難している皆さんには、希望を捨てずにがんばってもらいたいです。今はこれしか言えませんが、必ず多くの皆さんが支援してくれるはずですので、前を向いていきましょう!
再びこの記事を読んでくれているか分かりませんが、もしこれを読んでいれば返事をいただきたい。
コメントいただいた内容を本文に転載したいのですが、よろしいでしょうか。
いや、ここは強気に出たいと思います。
転載させていただきます。
ただし、それはやめてくれ、ということでしたらすぐにやめますので、コメントください。
さて、中越地震のときの山古志の状況を少し書きます。まず、義援金についてですが、私の家は全壊でしたが、3回に分けて合計で100万ほどいただきました。また、これとは別に生活再建支援金が100万です。いただいたお金はこんなものです。では、なぜ多くの皆さんが家を再建できたかというと、ずばり「農協」のおかげです。山古志という地域は田舎ですので、損害保険に加入している家はほとんどなく、建物の保険といえば農協の建更だったのです。また、中越地震の時には、農協の建更には地震特約などどいう縛りがなかったので、ほとんどの家が満額の保険金をいただきました。ですので、家を再建できたといっても過言ではありません。ただし、農協さんもその後、地震特約をつけましたので、今はそういう訳にはいきませんが・・・
また、報道という点では役場の職員に聞いたのですが、地震後当初、記者の皆さんが平気で対策本部や避難所に取材されており、特に避難所ではそういった行為にクレームが出ていました。また、対策本部では電話対応等をしている職員にまで取材というようなこともあったようで、報道の皆さんとの関係はかなり悪かったようです。そこで、山古志では長島村長が1日1回は会見をして、そこで情報を出して、報道の皆さんの質問に答えるといったことをやっていました。そういったこともあって、山古志の報道が多かったのではないかということです。今の被災地の現状にどこまであてはまるかわかりませんが、私たちの状況はこういった感じです。
今も避難している皆さんには、希望を捨てずにがんばってもらいたいです。今はこれしか言えませんが、必ず多くの皆さんが支援してくれるはずですので、前を向いていきましょう!(長文失礼しました。)