受験も一段楽し、高校生活もそろそろ終わりにさしかかってきました。
面倒なのは課題研究くらいです。
日々のレポートにはもう完全に慣れてしまいましたし。
高校生活が終わる、ということはこのブログも終わる、ということです。
「高校生の勉強日記。」ですからね。
どうしようかな。
「大学生の勉強日記」なら分かりやすいですけど、「高校生の小説日記。」の方はどうしようかな。
まあ、カテゴリで「小説に関して」とやってもいいんだけど。
まあ、それはおいおい考えます。
今日からまた、勉強日記を更新していこうと思います。
ちょうど中間テストも終わりましたし。
ということでよろしくお願いします。
最近、政治経済の勉強をしているのだけれど、それだって学校では教わらないから独学だ。
つまり自分で教材を買う必要がある。
金がいるのだ。
勉強するには金がいる。
当たり前のことだが、辛いものもある。
今、アルバイト先を探しているところだが、意外と見つからないものだ。
(本気で探してないだけかもしれないが)
勉強したい。が、本が買えない。
まあ、仕方のない部分はあると思うが、それにしても面白そうな本、勉強できる本は大抵、高い。
おそらく需要が少ない為に仕方なく高くついてしまうのだろうが、そうするとますます手が出せなくなってしまう。
ためになる本というのはもっと安く提供できるように、もはや国家が取り組んでもいいんじゃないか。
まあ、自分勝手な意見ではあるが、「こども手当て」よりはためになるんじゃないのかな。
こども手当てもっらた子供はトイザラスに行ってるんだぞ!
本当に貧しい家庭に保護を出すのは分かるけど、ただ子供だから手当てを上げるのはおかしい。
それくらいなら大学とかの奨学金制度をもっと充実させるとか、とにかく勉強するための支援は大事じゃないのか。
まあ、まだその辺の事情はよく分からないんだけど。
ライトノベルと哲学や政治、世界情勢の本とどちらを読むのがためになるのか。
まあ、ライトノベルもいいけど、政治経済や世界情勢は本当に大切なことだろう。
勉強すべきことだろう。
学校じゃ学べないことを、本は教えてくれる。
でも、その本がなかなか買えない世の中だ。
社会人ならまだしも、学生には厳しいものがある。
まあ、あれこれおいおい考えよう。
米百表の精神は何処に。
ロバート・ダウニ―Jrというと「アイアンマン」もなかなか面白かった。
「アイアンマン2」も早く見たいのだが、TSUTAYAで旧作になるのを待とう。
「エクスペンダブルス」も観たいな。
とにかく、ロバート演じるシャーロック・ホームズが実にユーモアがあって、冒険心溢れる魅力的な存在だった。
こんなキャラクターを描いてみたかったりもする。
そこで、シャーロック・ホームズの本を読み返してみよう、と思った。
いつ読んだか覚えていないくらい昔に読んだが、とにかく家には「四つの署名」がある。
「緋色の研究」は最近、ばあちゃんに誕生日プレゼントということであげてしまったので、持っていない。
「バスカビル家の犬」からは持っていない。
そこで「四つの署名」を読み始めていたが、なんと驚くべき発見があった。
物語り始めのところでシャーロック・ホームズは日に3度もコカインをやっていることが分かったのだ。
刺激を欲していたらしいのだが、要するに謎解きに飢えて、気持ちがふさいでしまっていたらしい。
まあ、ワトスンが「やめろ」とホームズを止めるのだが。
映画「シャーロック・ホームズ」にワトスンの婚約者としてメアリーが登場した。
私はまだ途中までしか「四つの署名」を読んでいないが、どうやらこの話に登場するメアリーが、映画のメアリーのようだ。
家庭教師であるし、なんだか物語はそういう流れになりつつあるし、なんと言ってもちょいちょい入るワトスンの地文でのつぶやきからその関係が伺える。
私は今までシャーロック・ホームズは紳士的でユーモアがあって、気障な奴、という印象を持っていたが、なるほど、「四つの署名」を読んでみると、ホームズはもっと純粋な存在かも知れない。
ちょうど、ロバート・ダウニ―Jrが演じたようなホームズだ。
シャーロック・ホームズを全部読んでみようかな、と考えている今日この頃である。
(読み始めた当時「四つの署名」で「もうわけ分かんねえ」とリタイアした)
「はあ?」
「障害者ってのは、経済的に見たって、特別、有益なものでもないだろう」
「ローランド・カークは綺麗な音楽を作る」
「ローランド・カーク?」
「目の見えないサクソフォン奏者だ」
「まあ、芸術の分野じゃありなのかもしれないけど」
「ひとつ、君に訊いてみたいが」
「ああ」
「お前はなぜ生きているんだ?」
「はあ?」
「生きてる理由だ」
「そりゃ、生きてりゃ楽しいことがあるからかな」
「それだけか?」
「それ以外に何があるんだよ。人生に意味なんかねえだろうし、せいぜいが楽しく生きるしかねえだろ」
「ニーチェも言っていたんだ」
「何を?」
「『人生は無意味だが、それを受け入れた上で前向きに生きることが大切だ』」
「へえ」
「君は楽しいから生きると言った。それはおそらく間違いではないだろう。経済活動のために生きているわけではない。障害者だって同じだ。経済活動のために生きてるわけじゃない。何のために、なんてのは愚問なんだ。そもそも、世の中は無意味だ、と言うのに、障害者に意味は、と問うのは一種のパラドックスじゃないのか」
「何言ってんのか、よくわかんねえけど」
「要するに、障害者だからって特別ああだこうだと言うのはおかしいって話だ」
「福祉とか施設とか問題があるけど」
「生活支援は必要かもしれないな」
「障害者は特別じゃないんだろ?」
「世の中は健常者を中心に出来上がっている。健常者にとって暮らしやすい世の中で、もともと平等な作りではないんだ。そもそもの組み立てがおかしいのだから、改善は必要になる」
権力への反抗、というのはロックンロールの本質、みたいに勝手に思ってます。
ということでこのタイトルです。
私の小説の課題は、物語の起伏です。
意外性であるとか、盛り上がりだとか、そういうものが欠けている。
ただ平坦で、退屈です。
そこが課題だ。
もっと挑戦して、エンターテイメント的な物語にも挑もうと思います。